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2011年5月 5日 (木)

5/5未明 救急病院へ

5/3の午前中より発熱。夕刻には38℃に達した。恐らくカゼと判断し、以前に処方されたジェニナック抗生剤と、ブルフェン剤で解熱を試みた。つらかったが、夜には解熱し楽になってきた。その晩はそれでおさまった。

5/4は朝は快調。通常通り過ごしたが、夕刻より胃に違和感を感じはじめた
多少無理をして妻の実家へ行く。
夜になっても治まらず、夕食は食したものの、いざ横になっても眠れないほど痛い。
午前3時、更に痛みは悪化。ここまで全く眠れず。
我慢できず、横浜市の救急センターへ電話。
神奈川区付近だと、みなとみらいの「けいゆう病院」が救急対応してくれるとのこと。
チビ軍曹、チビ二等兵を彼らの祖母に託し、妻の運転で病院へ急行。

何とか歩けるものの、座って待っている時間も苦しい。
診察で問診を受け、血液検査、レントゲンをやってもよくわからないという。
止む無くCTスキャンとなったが、この頃にはとにかく何か処方してくれという気持ちのみ。
この時点で妻に悪いので、先に帰ってもらうことにした。帰りはタクシーでもなんとでもなろう。
CTを撮るには「ヨード造影剤」なるものを点滴で入れる必要があり、これが副作用が強いとのことで、同意書への署名をする。この時点では署名などいくらでもするから早く楽になりたいという思いしかない。
CTの機械に横になり、いよいよ造影剤の投与である。
喉の渇きがひどくなり、一気に全身が熱くなる。

何がしかの役に立つという点滴をしたまま処置室に戻り、ベッドに横になると、今度は身体全体をかゆみが襲った。医師曰く、副作用のアレルギーが起きたとのことである。そのための抗アレルギー剤も点滴で投与。もう左腕も右腕も、何らかの管につながれ、寝てないこともあって意識が朦朧とする。経過観察するまで、このまま病院に留まるしかないという。しかし、肝心の胃の痛みは、造影剤を投与したくらいから、心なしか軽くなってきたように感じられた。それはそれで良い。

気づくと午前8時。ようやく眠れたようであった。
全身のかゆみもなくなり、胃の痛みも軽い。ただ、頭はモウロウとする。
CTの結果からも、明確な理由はみつからなかったという。
恐らく、5/3の発熱の時点で何らかのウィルスが入り、それが胃や腸で暴れたのだろうという所見であった。

病院を出ると、休日のみなとみらいの街。
朝の空気は気持ちが良いが、こちらは眠さでどうにも暗い。
おぼつかない足取りでみなとみらい駅まで歩き、義父母宅まで徒歩で帰った。
この日は昼の14時まで寝て養生して過ごした。

あのまま救急にはかからず、家にいたとしたら同じ結果だっただろうか。わからない。
幸運だったのは、我が将軍が義父母宅のオートマ車に乗れたことだろう。
自宅だったら、救急病院まで自分で運転するか、それこそ救急車だ。
しかし、カゼのウィルス如きで救急車を呼ぶわけにはいかない。やはり、自分で行っただろう。

それにしても、救急病院にはひっきりなしに患者が来ていた。もちろん救急車で搬送されてきて、私自身より明らかに症状が悪そうな人も多かった。内科の処置室だったからまだしも外科であったら、それこそテレビ番組のようであったかもしれない。

今晩は落ち着いて眠れそうである。
感謝。

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